教会の危機管理
- 【K】

- 2024年9月30日
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過日、私が招かれている教会で避難訓練が実施されました。主日礼拝後に約40名の出席者が参加し、計画通りスムーズに避難を完了することができました。想定された火元は厨房ではなく教会エントランスです。通常はやはり料理をする厨房が火元として想定されますが、私たちの教会ではコロナ禍以降に皆で食事を共にする機会がなく、ほかの脅威を優先して考えることができました。
その脅威とは何か。ずばり『放火』です。2019年に京都アニメーション放火殺人事件という30人以上の方が亡くなる凄惨な出来事が起きてしまいました。報道によれば犯人の筋違いな思い込みが動機であったと断定されています。この事件が全国の教会に与えた衝撃は大きなものであったはずです。今までは思ったこともないことでしたが、教会に来会したことが一度もない人でも、何かのきっかけによって教会を攻撃の対象にすることがあるのだということです。「むしろ教会だからこそ、そのような攻撃の対象になることはありえる話である。」と私自身思いなおすきっかけとなった事件でした。なぜなら教会には御心のために、世の価値観と闘わなければいけない時があるからです。
避難訓練の策定をした担当部署の働きは非常に尊いものでした。様々な状況を想定し、何度も話し合いを重ねている場面を見かけることがありました。求道中の方には知りえないことかもしれませんが、このように教会はそこに集う大勢の方のために心を尽くし、もしものために備えているのです。(むしろ奉仕の心に薄い教会員の方のほうが知らないのかもしれません。当然感謝の心も薄く、当たり前に受けることができるサービスだと勘違いをしている悲しい現実があります。奉仕者は全ての教会員と等しく、無償で神様に仕えています。そもそも奉仕とは神様に対する重大な責任である。このことをそれぞれが自覚してほしいと願うばかりです。)
避難訓練は消防法によってすべての事業所に義務付けられています。しかしその在り方はどういった組織なのか、また建物の構造上においても実際には様々ですから、各教会の避難訓練の想定、計画、実施の仕方も様々であることは仕方ありません。だから何が良くて、何が悪いということは評価しにくいという問題は残ります。ただ上述した京都アニメーション放火殺人事件のように理不尽な攻撃を教会が受けないとは言えません。ですからもしこのブログを見て、避難訓練を策定する立場にある方がいらっしゃるのであれば、会議において『放火』について話される必要はあるかもしれません。礼拝においても、ミサにおいても人命が守られることは重要であり、それは神さまによってその場に集められた者に対する愛の業です。
私たちの教会(もちろんキリストの躰なる教会のことです)は避難訓練が終わると、次にバザー、クリスマスと年間行事予定は進んでいきます。明日からもう10月。一年の後半はあっという間に過ぎ去っていくような気がします。しかし時には静かな夜に、全国の教会の安全が守られることをゆっくりと祈りたいと思います。



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