『教会とは何であるか』
- 【K】

- 2025年3月10日
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以下は実際に著者が教会学校で子供たちに説教した原稿です。改革派の主日礼拝に毎週出席しています。そのような教理が反映されているものと思います。皆様の信仰上有益なものであってほしいと願いつつ。

Ⅰペト4.7-11
7万物の終わりが迫っています。それゆえ、思慮深く振る舞い、身を慎んで、よく祈りなさい。8何よりもまず、互いに心から愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。9不平を言わずにもてなし合いなさい。10あなたがたは、それぞれ賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を用いて互いに仕えなさい。11語る人は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が崇められるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。
さて皆さんは教会のことを友達に詳しく説明できるでしょうか。教会とはなんであるか。これは教会に招かれた人間にとって、とても重要な問題です。私たちの教会(もちろんキリストの教会であることは言うまでもない)のようにてっぺんに十字架が掲げられ、鐘やパイプオルガンが備えられている建物のことでしょうか。たしかに私たちの教会の建物はこれこそ教会であるという外見であると言えるかもしれません。しかし世界中の教会の建物は実に多様であると紹介することができます。例えばヨーロッパのバチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂は収容人員六万人を超える規模を誇り、その建物の美しさは訪れる人を圧倒するものだそうです。かたや住宅街にひっそりと十字架もなく、もちろん鐘やパイプオルガンもない、五人も入れば満杯で、ギターや電子ピアノで礼拝をお捧げする教会も確かに存在するのです。二つはまるで違う建物であると言えますが、同じ教会であることに間違いはありません。このことから一つの答えが導けると言えるのではないでしょうか。それは教会が教会であるためには、それがどのような建物であるかは問題にならないということです。では教会が教会であるために必要なこととはいったい何なのでしょうか。
聖書は語ります。『神さまがイエス様をすべてのものの上にある頭(かしら)として教会にお与えになった』と。そして『教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場である。』とも語るのです。このような聖書箇所を通して私たちは教会とはなんであるかを真実に知ることができるのではないでしょうか。また別の箇所では教会を『神の家族』であると説き、イエスさまをかなめ石とし、使徒や預言者という土台の上に建てられたと語るのです。つまり教会は建物に例えられる招かれた人間の集まりであり、そこにイエス様がおられることで初めて教会になるのです。このことを大人の礼拝では『教会は信仰共同体である』と表現しています。
今日の聖書の箇所は教会のあるべき姿はこうですよと読むべきだと思います。もちろん建物の構造について語っている部分はありません。必ず十字架を屋根に配置しなさいだとか、鐘やオルガンはあったほうがいいだとか、そのようなことは問題にしていないのです。「思慮深くふるまいなさい。」「身を慎んで、よく祈りなさい。」「心を込めて愛し合いなさい。」また「もてなし合いなさい。」「互いに仕えなさい。」「奉仕しなさい。」ここに書かれていることはそこに招かれた者たちへのメッセージに他なりません。そしてそれらのことはすべて、イエスさまを通して神さまが栄光をお受けになるためであるというのです。
ここに教会の目的があります。私たちが命の神さまにより頼み、聖霊に満たされ、礼拝すること。つまり御子であるイエス様のお名前によって神さまが賛美されること。そしてそこに集められた人々が互いに愛を持って使えあい、御心が地上においても適うようにと働くこと。このことがこれまでもこれからも、ぶれてはいけない教会の使命なのです。
何度も言いますが、教会は建物のことではありません。主イエスキリストを頭(かしら)とする人々の群れ。この交わりが教会に他ならないのです。今、イエス様を見ることはできません。しかし聖霊が御言葉によって頭(かしら)なる主イエス・キリストを指し示しています。まだ皆さんは口でイエス様が主であるといいあらわしてはいません。しかし神さまがあなたを愛し、キリストの体なる教会に招いておられるのです。建物にはその足で入ることができます。しかし教会に入るとは、この上ない愛を注いでくださる神さまを受け入れ、イエスさまを自分の主人であると告白することなのです。祈ります。
天の父なる御神様。
聖名を崇め賛美いたします。
今日は教会とはなんであるかについて知ることができました。
あなたはこの教会に子供たちを招いておられます。
子供たちが心も体も健やかに成長し、自らの口で主イエスは神のひとり子であり、
私の主です。と告白する日が与えられますように。
そして安心して生涯を歩むことが許されますように切に願います。
この祈りを主イエスキリストの聖名によってお祈りいたします。
アーメン。



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